勧められて新田次郎の「つぶやき岩の秘密」を読んだ。僕の母が長野出身なこともあって、その名前は小さいころから母が口にするのを聞いていたのを覚えている。僕自身は登山には興味がないので今まで名前だけだったけど、つぶやき岩は海辺の事でしかも三浦の三戸浜周辺をモデルとしていると聞いて読む気になった。
僕が週末にカヤックをしているのはまさにモデルとなった地域で、小説の挿絵地図はそのまま北から黒崎の鼻、三戸浜をすぎてすずめ島に突き出る岩壁、エビカ浜を通って小網代の堤防前までに重なる。小説の富浜(トミハマ)なんて三戸浜(ミトハマ)のもじりそのままだし、鵜の島は冬には実際いっぱい海鵜が集まる島で、本当の名前のすずめ島より似つかわしい。
なので、なんとなく地元感を持って楽しく読み始めたのだけど、すぐに話の筋が松江の図書館で読んだ「島根の海の物語-三太と源爺さんとミケ」ととても良く似ていることに興味の中心がうつる。
どちらも海辺になれ親しんで育った少年が、海辺でみつけたミステリーに興味を持ち、小学校の担任女教師の理解と助けを得ながらそれを自ら解決するという筋を持っている。また、メンターとしての役割をもつ身近な老人の名前の源爺と源造だ。
執筆機序や後先には興味がなく、つまりは、いつの時代にも少年が同じように体験する物語なのだろうと納得する。ともあれ、つぶやき岩を経由して、また三太の物語を読みたくなった。三太の物語は話の骨格がつぶやき岩とまったく同じだが、もちろん違いもある。その違いが、僕にはより三太の物語を好ましく思うものにしている。
一つは、お話の題材がより身近で、ノンフィクションのように感じられること。三太がみつけるミステリーはライオン岩のうめき声で、紫郎のみつけるつぶやき岩の海の声と同じだが、それを自然現象にとどめ、背景に日本軍の残党などは出てこない。少年時代の生活を懐かしく読むような向きには、変な財宝話は必要ない。
もう一つは、三太の物語は島根の生きた方言をその会話の中に捉えていることだ。三太は1940年代の山陰地方の寂れた漁村に小学生として暮らしている。その地元に根付いた言葉は僕のような渇いた標準語しか話せない人間からみると、瑞々しく聞こえてきて羨ましくさえある。
もし、つぶやき岩の紫郎に魅力を感じたら、ぜひ三太の物語も読んでみてほしい。紫郎と同じようにいきいきと海辺に遊ぶ三太を身近に感じて、また彼らの目から見る海辺を共有して欲しいと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿