終わっての振り返り:
普段のカヤックツアーはスタートからゴールまでのコース線上にキャンプ泊の点を打っていく一次元的な動き。でも今回は、キャンプをひとところに決めて動かず、その点を中心に円を広げる二次元的な動きをした。カヤックを主、キャンプが従を前者とすれば、後者はその逆、キャンプを主、カヤックが従とも言える。家からママチャリで買い出しにいく感覚でカヤックを使い、とても新鮮で楽しかった。こういうツアーの方が性にあってるかもしれない。
出発前:
GW後半、クラブの総勢六人でキャンプツアーに行く。当初は島根半島を漕ぐ予定だったのだけど、風の予報を見て断念。臨機応変。南西の強風が日本全国で期間中吹く。どこを漕げば良いのやら。
紀伊や四国あたりで川を下ることになるか。5月3日は風だけじゃなく雨もある予報だから、増水したりやしないかなと予想しながらワクワクして大先輩の発表を待つ。予め自分でも考えておいて、それを大先輩の判断と答え合わせする。
結果は京丹後宮津。日本三景の一つ天の橋立のあるところ。天の橋立から東に進み、高浜までを三泊四日で回る予定が発表された。なるほどー。他に候補に残ったのは、四万十、瀬戸内しまなみ海道だそうだ。あとは実際に現地で海を見て。
とあるJR駅で大先輩の車にみんなで集合したのは5月2日夜の10時。これから夜通し宮津に向って走る。
5月3日:
ガンガン漕いでる同期はクラブのムードメーカ。今回はその同期が参加してないので、車中は控えめのトーンで寝た人も何人か。何回か休憩しながら高速を走り、舞鶴で下道におりて天の橋立の出艇予定地につく。海を見てアウト。
橋立の西側は囲われた水域で吹送距離が 2km ほどしかないけど、南西からの風が吹き抜けになってしっかりとした風浪が橋立に打ち付けている。逆に東側は松林に遮られた風裏で、橋立の近くの白い砂底の海は明るく穏やか。だけど対岸の黒崎半島近の岸には厳しい風浪があたってるだろう。
初日のキャンプ予定地は黒崎半島の東側で、天の橋立から宮津湾を東に渡って黒崎半島にとりつき、先端を西から東にくるりと時計回りしたところ。宮津湾を渡るコースは追い風追い波、進めば進むほど海況が悪くなっていく蟻地獄。これは出られない。
臨機応変。それならと車で黒崎半島の東側にまわり、風裏から初日キャンプ予定地にアクセスするコースを考える。由良川の河口、神崎海岸に車を停めて海を見る。アウト。
西寄りの風を漕ぎ上がって湾を直接渡るには出し風が強すぎる。かといって、栗田湾を岸ベタで回り込んでいくと、向かい風で長い距離を漕ぐことになり、まるで修行のようだ。
もっと初日キャンプ地に近いところから出艇し、風裏のみを漕いでキャンプ地にあがることにする。臨機応変。
黒崎半島の北より、おっぱまに車で移動すると風裏の海はとても静か。花崗岩の砕けた白い砂地に明るい緑の海がキラキラしてる。ここから出艇し、陸路のない無人浜にカヤックでアクセスしてキャンプを張ることに決定。また、明日もまだまだ風が強いことを考え、今後キャンプ地は動かさず、海況を見ながら安全な範囲で漕ぎまわり、最終日はまたおっぱまに戻ることにする。臨機応変。
浜の近くで駐車できるところを探して農作業中のおばあちゃん達に声をかける。車から降りた大先輩とおばあちゃんとの話は中々終わらない。僕らは車の中から面白そうにそれを見ている。話の中で僕らが3日ほど車を停めてカヤックで回ることを話し、おばあちゃんのお孫さんたちが神奈川に出てきていることなどを聞いて握手をして別れた。
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おっぱま |
車をとめられる場所を聞いたら、おっぱまに一切合切をおろし、荷物をカヤックに積んでいく。地元の「スーパーにしがき」で食料も全泊分買い込んだ。おっぱまの砂は白いけど粗く、半透明の石英っぽい粒が混じる。ドライバッグを叩けばかんたんに落ちる。
雨が過ぎた後の曇り空の下ようやく漕ぎ出す。少し沖に出るともう風が強い。気をつけて岸ベタで漕いで行く。
ちいさな鼻を幾つか回ったらもうキャンプ予定地。陸路はなく、こんな風が強い日に海に出るもの好きも少ない。でも、ゼロではない。それは後でわかる。
手早く荷解きをしてテントをはり、キャンプの準備がととのった。森の枝が浜ぎりぎりまで伸びているので西風も日差しも抑えられ、最高のキャンプ地だ。昼から食べて飲んで喋って夜には早く寝た。
5月4日:
起きて二日目。朝方、釣りの渡船が僕らに向ってマイクで話しかける声でテントから出る。
「お客さ~ん、その辺は親子の熊が出てねー、たけのこを食べに出て来るからもう少し戻ったおっぱまに移られるとええですよー。大きなヒグマですわー。そこの竹林にみえましたわー」
そういってプープーと船の警報音を長く何回か鳴らし、最後に「マイクのテスト中」と流してからまた沖に出ていった。ヒグマは本州にいないだろう。嘘をついてるとは思わないけど、ツキノワグマでしょうなあ。皆で相談し、高い安全管理意識をもってキャンプ地を動かさないことに決める。臨機応変。
宮津には強風波浪注意報が全日出ていて、海上南西15m/sの風の予報。昨日と同じで、午前中はまだ少しましなくらい。怖いもの見たさということで、黒崎半島を風裏の東側から西側に回り込んで宮津湾に入り、伊根や天の橋立を遠くに見に行く。みんなで浮かんで漕ぎ始めた時、海保のヘリが低くおっぱまの方からやってきて、低く二回ほど回って舞鶴の方に飛んでいった。はい、よくよく気をつけて漕ぎます。
黒崎を回って宮津湾に入る。伊根が近く見える。天の橋立はまだ遠い。風浪は強まり、宮津湾を真っ直ぐ吹き抜けていく。渡る気も無いけど、昨日も今日もこれを渡るなんて判断は当然でてこないなあ。
ここまで日差しはあって気持ち良い。でも、この日は上空に強い寒気が入り、不安定な天気になるという予報だった。日本海の水はまだまだ冷たく、その上を吹く風が北よりに変わるとすうっと寒くなる。午前のうちにキャンプ地に戻ってのんびりしていると、ときおり北風に変わり灰色の雨雲が近づいてパラっと雨を降らせてまた日差しが戻る。この浜は北東から風が吹くとしんどそうだ。
また喋って飲んで楽しく寝た。
5月5日:
起きて三日目。この日は渡船は来なかった。9時以降は強風波浪注意報もなくなり、少しは距離を漕げそうな雰囲気。伊根の船屋まで宮津湾を渡って往復しようか、天の橋立を見に行こうか、少し範囲が広がる。黒崎半島の西側はもう見たので、東側をもう少し攻めよう。ついでに栗田のスーパーにしがきで買い出しをしよう。食べ物はまだあるけど、飲み物が心細い。ただの水はもちろんたっぷりある。往復20km弱。
明るい砂浜から出艇し、岸ベタの岩を楽しみながら栗田湾に入り、海洋高校のすぐそばに舟をあげる。栗田までは南西の向かい風。ここまでにも良さそうな浜が一杯あるけど、栗田の海岸は素晴らしかった。キャンプはできないけど、砂浜の際まである家並みが美しい。そこで投げ釣りをして遊ぶ地元の子供が良く馴染む。浜に流れ込む小さな生活用水も草むらに沿われて海に戻る。
浜からスーパーまで歩く。浜に吹く風は家並みに混じると途端に止み、夏の日差しがコンクリの照り返しでジリジリする。薄寒く感じた体があたたまる。帰り道も、スーパーのクーラーで冷えた体がまた暖まる。浜で昼ごはんを食べながら昼寝休憩をしてまたカヤックで浮かぶ。帰り道、北東に風が変わりまた向かい風の中帰る。
帰り道、ちょっと釣り道具を借りて引いてみる。借りる時「晩御飯お願いします」、ボウズで返す時「えー、今晩おかずなしかー」と言われる。ファイティングスピリットが少し出てきて、次は釣ったると思う。なるほど、釣り部の人たちはこういう感じなのか。
キャンプ地に2時過ぎに着く。最後の鼻を回り込んで浜が見えると自分のおうち感がすごい。地元の友達と無為に過ごす夏休みのよう。大層な目的地はなく、近所のコンビニに普通に弁当を買いにいき、ダベりながらうちに帰ってきて部屋でまた一緒にダベる。ダベる中身は、クラブのこと、カヤック技術のこと、普段の仕事のこと、自分の興味のあること、中身はなんでもいい。
キャンプ泊は今日で最後。明日は片付けて帰る日。また明るいうちから始め、この日は少し遅くまで喋って飲んで寝た。
5月6日:
起きて四日目。キャンプ地を畳んで車のあるおっぱままで帰る。すぐにつく。大先輩の車の脇にカヤックを置いて荷解きしようとすると、初日に会ったおばあちゃんが通りがかった。顔見知りにあった嬉しさで、また話が始まる。
「あんたら横浜の車のひとやろ?毎日まだ車があるないうて、話をしとったわ。3日ほどおるゆうたからなぁ。何日かまえには栗田の浜から折りたたみのボート出てね、ボートだけ見つかって二人戻らんいうて、いろいろさがしとったわ」
4日にみた海保のヘリはそれか。
京都新聞のネット記事を帰ってから見たら、3日に栗田を出たのが4日の早朝に転覆した舟だけ見つかったらしい。乗ってた二人を探してヘリが飛び、すぐ近くの湾でのんきにしている僕らを見たことになる。3日といえば、栗田湾を渡るかどうか、由良川から海をみて諦めた日だ。出し風だった。
おばあちゃんの話は旦那さんの話になり、 毎日車を見て噂してた話に戻り、とめどない。
「僕らはその鼻の向こう側でキャンプしてました、ここは本当に良いところですね」
「そうですか、もうここにずっと住んでますわ。住所が変わったことがない」
「えー、地元も地元ですね。おいくつなんですか?」
「いくつに見えます?」と言って笑う。大先輩が聞いた。
「そういえば、この辺って熊は出るんですか?」
「熊?おるよ。熊やないけどこの前はうり坊が畑の横の網に出てね、こう筋の入ったかわいいうり坊で。役所の人に処置して貰おうおもて渡したら、山の上に放してきたからもう大丈夫いうんですわ。そんなんじゃもうだめで、それからはほってますわ」
おばあちゃんは畑でとった玉ねぎを自転車のかごに入れている。その自転車は電動アシストで、でもバッテリーはもうついていない。
「電池入れてもすぐになくなってしまうし、買うととても高くてとってしまいましたわ」
別れの挨拶をすると、アシストしないモーターの自転車を元気に漕いで80を越えたおばあちゃんは集落に戻っていった。この3日の間、ずっとそこにある車を見て少しは心配させたかもしれない。片付けの日にまた会えて良かった。今日の昼前には「あの横浜の車の人たち、元気に戻りなさったわ」と周り中が知ってるだろう。
大先輩の車に一切合切積んで、舞鶴でお風呂と食事に寄り道して、また高速に乗って帰った。GW最終日の高速は順調で、二箇所ほどの事故渋滞以外はすんなりと、予定どおりにとあるJR駅について解散した。
すごい場所を漕いだわけでも無いけれど、もう一つホームができた良いツアーだった。またみんなと漕ぎにきたい。