小網代の森カヌークラブ (パドリングウルフ) で毎週末誰かしらと一緒にシーカヤックを漕いでいます

2020年2月11日火曜日

20200211 アーバンホワイトウォーター

前回に続いて都会を漕ぐ。前回は東京の運河、今度は横浜。スカイツリー周辺を漕いだときには、メンツの中に大島が地元の人がいて、高速道路下の公園の近くを通るおりには、その公園で子供の頃によく遊んだ話などを聞いた。

今回は横浜なので僕が地元のドヤ顔の番だ。子供の頃はまだ臨港パークも無く、日本丸がだだっ広い空き地の先に浮いていた。子供向けのボランティアプログラムに日本丸の清掃を行う活動があり、それで日本丸に初めて乗った記憶がある。真鍮の手すりやドアノブをピカールで磨き、2つに割った椰子の実の断面でデッキの木をこすった。

気持ちの中に船との関わりが生まれた最初のことだったと思う。それ以降、新聞の「今日の入船出船」という欄が気になったり、大晦日に聞こえてくる船の汽笛が嬉しかったり、港の持つ雰囲気が良い印象として残るようになった。

それから随分たって、今日はまがりなりにも小舟の船長さん。大岡川から出てほんの少し浮き、汽車道越しに日本丸の帆桁とランドマークを見てアーバンカヤッキングを楽しんだ。

とはいえ、今日はここがゴールではない。ここからが出発で、大岡川と堀割川を漕ぎ継いで磯子から東京湾に出たら南に進んで八景島の海の公園まで漕ぐ。北風がずっとあるから追い風だけど、それはつまり東京湾特有の風浪とその返し波のロデオ漕ぎとなる。

そんな予想を抱えながらも、まずは大岡川を滑らかに漕いでゆく。桜の時期とは違い水路はガラガラ。地元の SUP 二人とすれ違ったくらいだ。桜木町から蒔田公園までの街並みを眺めながら、あそこの公園ではアブデカが撮影してたなとか、同級生がバイトしてた映画館はまだやってるのかなとか、ばらばらな記憶をあちこち飛びながら小舟を進めていった。

蒔田公園を左に曲がり、高速の下からはいでてきた堀割川はとたんに景色が開けて明るくなる。夏のプールを思い出す磯子のイメージ。堀割川沿いの国道16号も同じ。暑い日差しの下自転車で走ったのを思い出す。広い国道を嫌って対岸の狭いほうを走ったこともよくあった。その取っ付きの神社が八幡橋八幡というどちらが元なのかわからない名前だと初めて知った。

ここまでは運河特有の滑らかなアーバンカヤッキング。前回の東京運河も同じ。しかし、横浜のアーバンはここからが違う。北東からの風浪を工業地帯の岸壁が打ち返し、いかつい三角波がつねにある。磯子の海釣り公園を離れ、反対側のベイサイドマリーナの堤防に向かって漕ぎ始めると、三角波がぐんぐん育ちだす。

波頭が崩れ、上下に揺すられながら楽しげに声をあげながら漕いでいく。大した風でもないのだけど、デッキは浪をかぶり、スプレースカートがびしょびしょになる。これはアーバンホワイトウォーターと呼んでいいと思う。楽しい。

運河の静謐とは正反対の躍動。これを同時に味わえるのが横浜運河の楽しいところ。ホイホイと進み、幸浦の角を右に曲がったら波が途端に消えた。うねりじゃないから水の動きは実際には少ないんだろう。

その先の小さい運河を入り込んだ公園には硬い砂地の干潟があって、そこで昼ごはん。舟の支度をしているときに公園の管理人のような人がやってきて声をかけてくれた。なんでも、以前はボート屋があったけど今はなくって、代わりに SUP が来てくれればと出しやすいように少し整備したのだけど、なかなか思うようには人が来てくれないんだそうだ。カヤックにとても使いやすいです、ありがとうと伝えて午後のロデオに出発。

ここまできたらゴールの八景島は目と鼻の先。SUMITOMO と書かれた門型のクレーンはすでに向こうに見えている。この頃はもう風と同時に風浪もだんだんと弱まってきた。まったりと漕いで、まだ日の高いうちにゴールできた。

大先輩が車をとりに戻っている間、房総同期と道場主は湾内をもう一漕ぎ、スカリングやロールをして最後まで水に遊んでいるの見ながら舟を片付け、最後には有志で八景島のかき小屋で軽くいただいて帰った。

ここのところツアーが続いたけど、ちょっとソロで距離も出したい。来週は天気がどうだろうか。久しぶりにきれいな潮を浴びたい。

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